「池田信夫の最後の砦」
自称経済学者の池田信夫は相変わらずトンデモ経済学を唱えている。
(http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51683386.html)
「読んではいけない」のリストも最近はリフレばかりになったので、もうこの種の本は読む気がなかったのだが、ネタとしておもしろいので、つい買ってしまった(リンクは張ってない)。
著者(岩田規久男氏)によれば、日本経済のすべての悪はデフレが原因らしいが、その理由が支離滅裂だ。たとえば「デフレで雇用は悪化する」という根拠として、2005〜9年に実質賃金が下がったという統計が示されている。この原因は労働需給が悪化して名目賃金が下がったからで、ごく当たり前の現象だ。デフレが企業収益を悪化させるのは、名目賃金に下方硬直性があって実質賃金が上がる(と著者は他の本で何度も書いている)場合で、実質賃金が下がるならデフレの弊害はない。予想されたデフレは実体経済に中立なのだ。
デフレは債務者から債権者への所得移転。
企業が固定金利の負債が存在する限り、デフレ下では実質的に借金が増えることになる。
名目ベースの「超円高」の原因がデフレだというのは、その通りである。だから実質実効為替レートでみれば、別に円高ではない。著者はそれを認めながら「『実質実効為替レートの急騰は円高ではない』と主張するのは『デフレはよい』といっているに等しい」という。彼は事実判断と価値判断の区別がつかないのだろうか。デフレによる円高は国際競争力に影響しない。1ドル=100円から80円になっても、100万円の自動車が80万円になれば、輸出価格は1万ドルで変わらない。
日本の輸出産業は、比較優位産業である。交易条件は悪化する。
加えて自動車が全て国内で作られたとして100万円から80万円の価格になれば付加価値は2割減、GDPがマイナス20%になってしまう。
著者は高橋洋一氏やモリタクのような貨幣数量説を否定し、「貨幣供給量が増えれば直ちに物価が上がるという『単純な貨幣数量説』を唱える人は、現代の経済学界ではほとんどいない」という。ゼロ金利では、量的緩和をしても物価が上がらないことも認める。しかし量的緩和で(物価連動国債でわかる)予想インフレ率は上がるという。これが事実だとすると、
1.量的緩和で金融市場の予想インフレ率は上がる
2.しかし量的緩和をしても物価は上がらないしたがって三段論法で考えると、
3.量的緩和をすると金融市場が誤った予想を抱く
という結論が導かれる。つまり量的緩和は金融市場を混乱させるだけで、実際にはインフレは起こらない。一般国民はマネタリーベースなんか知らないからだ。ところが著者は、量的緩和で予想インフレ率が上がると株価が上がるという。そんな経済理論はないし、逆の因果関係(株価が上がったために予想インフレ率が上がった)も考えられる。因果関係を無視して相関関係だけで語るなら、太陽の黒点活動のほうが景気に関係がある。
予想インフレ率というのは物価連動国債の利回りと利付国債の利回りの差。
つまりブレーク・イーブン・インフレ率であり市場の予想インフレ率である。よって一般国民はマネタリーベースを拡大したかどうかは全く関係がない。また、市場の参加者がマネタリーベースを増加させたかどうかは、当然知っている。
また繰り返しになるが、量的緩和で予想インフレ率が上がらないとするとそれもまた無税国家の誕生である・・・
リフレ派の主張には理論的根拠がなく、時系列データを見てもマネタリーベースと物価に相関はない。論拠が次々に崩れて敗走したあげく、最後の砦がこの「株価が上がって景気がよくなってデフレ脱却」という怪しげな話らしい。そしてまた「無税国家」が出てくる。こういう「盲撃ちすればいずれ当たるだろう」という話は、「具体的にどうすればインフレが起こるかわからないし、止められるかどうかもわからない」と白状しているようなものだ。そんな無責任な政策を日銀が取れるかどうか、大人ならわかるだろう。
みんなの党は基本政策は悪くないのに、リフレのおかげで色物と見られ、「リフレ派でないみんなの党が欲しい」といわれている。みんなの党の桜内文城議員も「国会議員の方が社会会計に基づくロジカルな議論をしようとしているのに、議員でもない者(財務省の先輩)が理論もデータもないオカルト的な言説を吹聴して党の政策の信頼性を破壊している」と怒っている。もう無駄な退却戦はやめ、まじめに潜在成長率を上げる政策を考えてはどうだろうか。
無税国家に論理的根拠を挙げて反論したらどうだろうか?
具体的には3%プラスマイナス1%のインフレターゲットと長期国債買い切り増額を挙げているが?
理論とデータは大脱走論文にありますが?
最後に付け加えるが、池田信夫氏は自称経済学者を名乗っているが、池田氏の博士号は(政策・メディア)でありなぜ経済学者を自称しているのか甚だ疑問である。
また、この表現を使用するメディア・マスコミも同罪であると考える。