岩本康志の「国債発行は金融政策」

岩本氏は、付利された超過準備について、貨幣量を変化させることは実用上の理由から、財政政策の範囲外として一番狭く定義したものが金融政策となり,中央銀行の判断でできるものなので、憲法に抵触しないと、従来の主張とは矛盾している。

付利された準備預金は流動性の高い国債のようなものであり,付利によって超過準備は貨幣から国債に変わります。金融政策として貨幣量を変化させることは中央銀行の判断でできるものなので,憲法に抵触する話ではありません。

通貨発行益が変化することになりますが,これを国会の議決を要する財政の事由にしてしまうと金融政策が国会の議決を要することになって,うまく動きません。

つまりは実用上の理由から,財政政策の範囲外として一番狭く定義したものが金融政策となり,貨幣量の変化とそれにともなう通貨発行益の変化は中央銀行の判断に委ねます。

後は国会と中央銀行のコミュニケーションの問題です。準備預金の付利を認め難い議員や通貨発行益の減少を心配する議員に対して,金融政策の運営のために付利が必要であることの理解を得ることができるかどうかです。これは日本だけでなく,世界中の課題です。


つまり、付利された超過準備は国債と同等で日本銀行国債を発行していることと同じ。
貨幣量を変化させることは、中央銀行の仕事で憲法違反ではない。


そもそもかなり論理が飛躍している。
国債を発行すること=貨幣量の変化ではない。
国債を発行するのは政府に任せ、日本銀行は粛々と政府の発行した国債を買い入れて貨幣量の変化をさせればよい。

国債の発行が貨幣量の変化であり金融政策ならば、財務省国債を発行するたびに金融政策になってしまう。

ということだが、岩本氏は以前次のように述べている。

政府の一機関がリスクのある資産を保有して,国民の負担が発生する事態を招く行為を,専門家が決めるならば,国会の関与がなくてもいいということにはならないだろう。(少し脱線して個人的意見をはさませていただきたいが,財政の研究者としては,専門家で合議して決めた方が,議員が国会で決めるよりも,良い選択ができると信じている。しかし,国家の強制力で集められた税金の使途は,国民が関与して決める,つまり国民が選んだ国会議員が決めるべきであるという財政民主主義は,それよりも優先するものである。国会議員が専門家の見解をよく勉強して,賢明な選択をしてもらうことが大事である)。

(http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/33500878.html)



専門家とは誰だかわからないが、岩本氏はよく勉強したほうがいいのではないだろうか。


ちなみに岩本氏は、金利平価説を信じているようである。

為替レートが金利差で決まるとの考え方が教科書での主流になっており,貨幣量の拡大で金利が下がらないと為替レートに影響しないことになります


これは、すでに@shinchanchiさんに指摘されているように、

白川方明さんによると 「通貨の超過供給→財への支出増加→国内物価上昇=自国通貨の為替レート下落 というメカニズム が働く」(14頁の主意)これは、現在では成り立たない? 『マネタリー・アプローチについて』 http://ow.ly/5FwjS (PDF)

白川総裁のマネタリーアプローチ論文とも違っている。