なぜ90年を境にインフレからデフレになったのか

証券アナリスト協会の講演にて武者陵司氏が90年が日本にとって分水嶺で大きく構造が変わったと述べていた。
従来からある3点に合わせ、武者さんの持論である4番目を紹介していた。

1.日銀主犯説
バブル潰しどころか過度な引き締めしたという説。一因としてはある。デフレ期の起点は不動産バブル潰し。日銀が意図的にやった。しかし、金融政策だけでこんな大転換ができるのか。90年代後半にはゼロ金利や、量的緩和を一生懸命やった。


2.需給ギャップ
エコノミストが好きな話。論理としてはパーフェクト。ただ、デフレと需給ギャップは同義反復。デフレになるのは需給ギャップがあるのを示している。需給ギャップを解消すればいいが、適切な処方箋が出てこない。


3.グローバル要因と技術要因
パーフェクトに正しい。グローバル化で中国などの安い製品の輸入で日本の物価が下がる。技術革新でハイテク製品の値段が下がりやすい。しかし、日本固有の原因ではない。世界の全ての国で起きている。アメリカも輸入物価が下がっているがデフレでないので説得力に欠ける。


4.超円高によるデフレ
70年代は日本の購買力平価は1$=220円でその時の為替レートは1$=300円を超えていた。日本企業は220円のコストでつくったものを、輸出すると300円で回収できた。購買力平価が安いということは日本の企業は強くなった。
90年は購買力平価は1$=200円だった、90年代初頭のレートは100円を超えた。日本企業は200円のコストでつくったものを、輸出しても100円にしかならない。逆ざやになった。それがずっと定着した。日本の製造業にとっては懲罰的な円高。普通は定着しない、日本は円安に戻らなかった。企業は1$=200円のコストを1$=100円のコストを100円にするしかない。これがデフレ圧力になった。



4番目の武者さんの主張は説得力があるように思える。しかし、為替の決定理論には購買力平価と同時に金利平価も重要であり、94年までは日米短期金利差が円高ドル安圧力であり、1番の日銀主犯説に関連すると思われる。
94に円高のピークをつけている。ただし、ゼロ金利量的緩和時期でも、購買力平価と市場為替レートが逆転するまでは至っていない。もちろんゼロ金利制約下の非伝統的金融政策の不足という面もあるが、失われた10年と一括りにするのではなく、何度か景気回復局面があったと考えると日銀主犯説もあてはまるように思う。