買い物は、世界を救う

本日の日経新聞の23面にJCBの広告で高橋是清の随想を引用している。

1929年11月、高橋是清かく語りき。

例へば茲に、一年五万円の生活をする余力のある人が、倹約して三万円を以って生活し、あと二万円は之れを貯蓄する事とすれば、其の人の個人経済は、毎年それだけ蓄財が増えて行って誠に結構な事であるが、是れを国の経済の上から見る時は、其の倹約に依って、是れ迄其の人が消費して居った二万円だけは、どこかに物資の需要が減る訳であって、国家の生産力はそれだけ低下する事になる。(中略)更に一層砕けて言ふならば、仮に或る人が待合へ行って、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を消費したとする。是れは風紀道徳の上から云へば、さうした使方をして貰ひ度くは無いけれども、仮に使ったとして、此の使はれた金は どういふ風に散らばって行くかといふのに、料理代となった部分は料理人等の給料の一部となり、又料理に使はれた魚類、肉類、野菜類、調味品等の代価及び其等の運搬費並に 商人の稼ぎ料として支払はれる。此の部分は、即ちそれだけ、農業者、漁業者其の他の生産業者の懐を潤すものである。而して是等の代金を受取たる農業者、漁業者、 商人等は、それを以て各自の衣食住其の他の費用に充てる。それから芸者代として支払われた金は、其の一部は芸者の手に渡って、食料、納税、衣服、化粧品、其の他の代償として支出せられる。(中略)然るに、此の人が待合で使ったとすれば、その金は 転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それが又諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなって働く。故に、個人経済から云へば、二千円の節約をする事は、其の人に取って、誠に結構であるが、国の経済から云へば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなって働くのであるから、寧ろ其の方が望ましい訳である。
 参考文献 高橋是清随想録(本の森/仙台)


合成の誤謬である貯蓄のパラドックスの指摘である。
1929年は世界恐慌の年である。その前に1927年には昭和金融恐慌が発生し、1930年には昭和恐慌となっている。
貯蓄しても銀行に預けて、銀行が与信業務を行えばいいという議論の余地もあるが、タンス預金、自己資本比率などの制約から必ずしもリスクマネーにはならないだろう。
そして後に、高橋是清金本位制度を離脱し、金融政策を取り戻し、日本経済を救っている。
また、日銀引受も行い財政政策もとった。そして1934年財政規律を取り戻そうとして軍部の凶弾に倒れた。

現在の日本経済に十分に通じるとことはある。日本銀行は自ら定めた銀行券ルールから離脱し、金融政策を取り戻し、国債買い入れ額の増額を行うべきではないだろうか。
また、国会も日銀引受を少なくとも議論すべきであり、デフレから脱却する姿勢を見せてもらいたい。