金利を上げれば「勝ち」、下げれば「負け」

第三章で日本銀行を端的に示しているのが金利を上げれば勝ち、下げれば負けという表現である。

なぜ日本銀行はこのような考え方があるのか
本書で挙げているのはインフレとの闘いの歴史である。

・グリースパンは市場と常に対話し、市場に信任されてきた。政府にとっては面白くない時期もあったが、中央銀行の独立性を維持してきた
・ドイツ政府は多少過熱気味な経済運営を望んだが、ドイツ連銀は常にインフレと闘い、ハイパーインフレを経験しインフレ恐怖症を持つ国民に支持されてきた。
・日銀に信用を勝ちとる歴史はない。政府のインフレを是認してきた。その証拠に「御殿女中」や「大蔵省日本橋本石町分局」とあだ名をつけられていた。
金利を上げれば「勝ち」、下げれば「負け」という典型的な例は1998年暮れの「白紙事件」。就任直後の三重野総裁が利上げを企図したところ、当時の橋本蔵相が「聞いていない。白紙に戻せ」と一喝した。金利を下げるのは歓迎されるが、金利を上げるのは「パーティが盛り上がっているところでいきなりシャンパンを引き上げる」行為に等しいと言われ、誰からも歓迎されない。だから日本銀行はさまざま雑音を排除し、周囲の圧力に屈せず、金利を上げることを「勝ち」、金利を下げることを「負け」と呼んでいる。
・2000年夏のゼロ金利解除を誤り、半年後にはゼロ金利政策に復帰。日銀の信認はまた失われた


これに付け加えるとすれば、日銀が独立性を持った瞬間として意図的なバブル潰しだろう。
しかし、その後のtoo slow too littleな金融政策によって失われた20年をつくりデフレ脱却から脱却出来ていない。そして、バブルが日銀のトラウマとして残り、現在も金融緩和が足りない。

トラウマを克服するには、日銀プロパーの白川総裁からインフレターゲットを主張する例えば伊藤隆敏教授など総裁の交代が必要だろう。