日本銀行の逮捕者、汚職、

本日は、金融政策について述べている部分は飛ばして前半と後半に分け第八章を読み解く。
あくまで日本銀行の組織を分析する。



・98年3月11日 日銀営業局証券課長 吉沢保幸容疑者、収賄容疑で逮捕
・百数十年の日本銀行の歴史上初の汚職逮捕者
・通貨の番人である日本銀行東京地検特捜部がガサ入れ
・その逮捕当日の朝、日本銀行情報サービス局広報課の朝のミーティングで筆者は上司から竹槍でB29を落とすようなものと言われながら「日本銀行の公式な見解は、違法な接待はない、よって汚職もない。公人ではなく私人としてあっただけ。個人が勝手にやったことで日本銀行に落ち度はない」と指示をうける。
・営業局(対金融機関の折衝・調整を行う部署)の課長が金融機関から接待を受けていた。問題は接待の見返りとして日本銀行の内部の情報を漏らそうとしてたこと。接待そのものではない。
日本銀行汚職内容の行内調査を発表した記者会見の席で鴨志田孝之理事は、風俗店での接待は不適切だが、高級料亭ならば「不適切とは言い切れない」と答えたとされている。
・「職員に広く世間と接触するように求めてきた」と事実上、金融機関から接待を受けることを暗に進めていた。「職員に広く世間と接触するように求めてきた」というのはウソで「職員に広く金融機関と接待するように求めていた」
・接待し、されることが当然で大蔵省・日銀・民間金融機関による馴れ合いで「官業一体カルテル
・年次のトップしか参加できない「影の人事局」という秘密組織が存在した。民間金融機関は「影の人事局」で接待する人物の選定は難しくなかった。
・吉沢保幸被告は、営業局金融課調査役時代かの94年6月、日本興業銀行側から、「日銀貸出しが減少している。これでは行内の説明ができない」と相談を受け、興銀から度重なる接待を受けていたので担当の部下に「興銀に文句を言われないようにうまく振る舞ってやれよ」と指示した。便宜供与は景気の現状や見通しを分析した「情勢判断資料」、「日銀短観」と機密資料を漏らしたり、公開市場操作指名競争入札から外さないようにしたりなど広範囲に渡った。
日本銀行では管理職が定時を過ぎても自席にいるようでは無能というレッテルが貼られかねない組織。



現在も日銀はリーク問題が取り出たされている。
日銀に逮捕者が出たことによって当時の松下総裁は辞表を出したと言われている。
今回のリーク問題も事実だとすれば、特定のマスコミに便器供与とも受け取れるのである。

白川総裁を辞めさせるにはこのリーク問題を追求することもひとつのツールになるかもしれない。