日本銀行とヤキトリ

日本銀行とヤキトリという日銀が民間金融機関を支配するための仕組みは徐々に明らかになっている。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Readings/yakitori.html

この本でも「ヤキトリ」と言われる金融機関に対するいじめについての記述があるので整理する。



・吉沢保幸被告は1995年の暮れ、他の都市銀行と連携し、三和銀行の準備預金を足りなくさせる状態に追い込んだ。これは日銀内部で「ヤキトリ」と呼ぶいじめともいえる措置で、三和銀行は何とか不足分を埋め合わせした。
しかし、事務手続き上のミスから日本銀行の業務に影響を与えたため、吉沢保幸被告の怒りを買い、日銀貸し出しに伴なう担保追加の制裁を受けた。吉沢保幸被告は裁量のの影響力を背景として、金融機関の思惑を逆手に取り自ら接待を強要するようになった。証券課長時代の97年1月、上京予定の日銀支店長の慰労会を名目に興銀の担当者に指示し、料亭で一人6万円の宴席をセットさせた。約19万円を支払わせた。
・福井総裁が担当部局長の時に「窓口指導」は表向きの権限としては全廃されていたが、リチャード・ベルナー氏がその後も続いていたと指摘する通り、あるとしか思えないような動きがあった。窓口指導がなかったとしても、日本銀行は金融に関する情報の統制の面で金融機関を有利にも不利にも扱うことができ、実質的権限は握っていた。そうしたことを中心に行っていた営業局が接待を受け、逮捕された。
日本銀行の銀行の資金繰りをみる営業局、資産内容を査定する考査局、破綻処理策などを立案する信用機構局は、当時実質的に金融機関の監督を大蔵省以上に担っていた。
・行政権限がなくとも市場のコントロールを行うにあたって、個別行に便宜を図るのは難しくない。もちろんその逆も可能。日銀は過去に何度もこうした手段で金融機関に圧力をかけていた。
・旧東海銀行の例では、天下った日銀OBが不正事件に絡んで辞職を余儀なくされた。このとき日銀はOBを退任に追い込んだ東海銀行に対する罰則として資金を引き揚げると共に、「ヤキトリ」によってプレッシャーをかけた。
・日銀の組織としてだけでなく、担当者の個人的な感情で権限を行使していた。



本石町日記を書いている時事通信の窪園博俊氏はこのヤキトリについて

権力の象徴として“ヤキトリ”を挙げているが、これはロンバート導入によって決定的に失われた権限である。また、オーバーローンで恒常的に資金調達側に回り、“ヤキトリ”になりやすかった都銀が預金超過に転じたことも、最後の貸し手としての日銀の威光を地に貶めていることも忘れてはならない。

と過去に存在したことを暗に認めている。(http://hongokucho.exblog.jp/3868884/


そして、同記事の中で

“ヤキトリ”に遭った金融機関が「旧T銀行」と伏字となっているが、伏字にする必要もないぐらいに周知の事実のはず。それに日銀はある意味“ヤキトリ”よりもっとえげつない制裁を加えてもいる。具体的には言えないが、エッ!というシロモノ。よくぞそんなことを考え出したもんだ、とむしろ感心する手段である。

とヤキトリを上回る実質的な権限行使に触れている。